フランス人の友達できた

f:id:otenbakiki:20221130215248j:image

イギリスの語学学校のクラスは国際色豊かだ。

ヨーロッパ系、アジア系、アラブ系、、、

様々な人種の人がクラスメイトにいた。

国によって表情から考えていることを読み取るのが難しく、不思議な感じだった。

 

1カ月毎にクラスは変わる形で、

初月の担任の先生は日本に数ヶ月ステイしたことがある、とのことで、

好きな日本語は「もしもし」だと言う。

響きがとってもラブリーなんだって。

 

クラスの中にいたフランス人女性Dさん。

ファッショナブルで人当たりが良くて笑顔が素敵なキャリアウーマン。

仕事の為に英会話力が必要で、何度かこの学校に学びに来ているという。

年齢は10歳位上だけど、お茶の休憩時間には

なぜかいつも隣りに座っていて、

いつの間にか私たちは大の仲良しになった。

人生の中でとても大きな存在となるほど…。

 

留学生同士の会話は面白い。

お互いのお国訛りのつたない英語で話す。

英語を話していても、Dさんはフランス語のようなイントネーションだ。

 

 

 

ホームステイ生活スタート

ひとけの少ない田舎の駅に

幸運にも1台のタクシーが止まった。

ホームステイ予定の家の住所を見せ

スーツケースを積み込んでもらい

乗せてもらうと

ほんの2分ほどで到着。

 

ドキドキでベルを鳴らすと

牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡の

ランドレディ(ステイ先のお母さん)が

笑顔で出迎えてくれた。

 

古いけれど手を入れられた大きな家で、

ファミリーのプライベートな部屋以外に

留学生用の部屋が大小あわせて5つと

共用のリビング、ダイニング、

そしてキッチンがあって、

滞在中、私の他に最大7人の留学生が

共に暮らした。

留学生は人により滞在期間が異なるので

帰国で去る者、また新たにやって来る者、と

メンバーは入れ替わり立ち替わりしていく。

初めに一緒だったのは、

確か イタリア人、スペイン人、スイス人、

フランス人、トルコ人で、順に

女性、男性、女性、女性、男性だった。

夕食後にトランプをすると

日本人の私とイギリス人のランドレディも

加わって

7カ国対抗ゲームとなる。

そう言って笑い合った。

国は違っても同じことで笑い合えるんだな。

同じ感覚を持っていることがわかり

嬉しかった。

 

 

怖いもの知らずだけど、怖いものだらけ

飛行機の窓から

UKの早朝のヒースロー空港

灯りが見えてきた時には

ジワっときた。

私、本当に来たんだ、、、。

 

しかし、その数分後。

初めて買った大型のスーツケースを転がしながら、歩幅はゆるむ。

 はて?

どっちに向かうんだ??

バスに乗って

列車に乗って

ホームステイ先にいくんです!

わかってます、

わかってますとも!

何から何まで調べつくしているのです。

だけど

いざ現地に着くと、 

バス停はどこ?

どの出口?

周りの人はみんな忙しそうに動いてる。

いや、英語で尋ねることはできても、

答えを理解できる自信がない。

 

それでも小雨に打たれながら

同じところを行ったり来たりしながら、

最後には

どうにかこうにかバス乗り場を見つけ、

そのあとは

恐る恐るバスと列車を乗り継いで

目的地に降り着いたのでした。

道中は何をしていても 

緊張感で張り詰めていた、、、

 

列車を降りて

人影まばらな駅でスーツケースを転がす。

 

そこはイギリス南部の田舎町でした。

 

 

 

 

親不孝者の海外留学

さて、カナダ人のG氏に失恋した私は、

しばらく優しくスイート、かつユーモアの

ある彼との時間を忘れられずにいた。 

 

完全にあきらめてはいるものの

彼の国に行ったみたい、と思った。

社会人になってから

学生時代に好きだったのに

進めなかった英語の道、英会話に触れたことで

留学の夢が再燃していたこともあり、

カナダへの語学留学を本気で考え始めた。

 

たくさんの資料を見、気候や費用、

留学する意味を考え、考え、、、

考えた末に行き着いた答えは。

彼の思い出とはキッパリ決別し、

しっかり英語の勉強をして

何らかの結果を出すために、と

費用との兼ね合いにより、

イギリスへ!

行くことに決定。

 

一般的な適齢期を過ぎての留学。

当然、親に反対されることはわかったので

手続きから必要物準備までの一切合切を

全て水面下で行い、仕事を辞め、

出発間際に一方的にこの計画をつきつけられた親の非難の言葉を背中に浴びつつ

イギリスに旅立ったのでした。

 

今思えば

すごい行動力ですwww

自分が今、娘にそんなことされたら

泣きむせぶだろうな。

ほんと

親不孝でした。

 

f:id:otenbakiki:20221127123237j:image

 

 

 

 

カナダ人の彼

2度のお見合いの後、 

何度か恋愛らしきことに直面するたぴ、

結婚を意識してしまう。

早く結婚したいということはなかったけれど、

自分が選んだ人で親を納得させるような結婚が

できることを証明したい、

そんな気持ちがあったのかも知れない。

 

そんな中出会ったのが

カナダ人のG氏だった。

趣味で始めた英会話の先生の一人で、

当時私はそんなに英語レベルが高くなかったにもかかわらずなぜか気が合って、

彼はデートに誘ってくれた。

このまま順調に交際が進めば

国際結婚も現実に⁉︎

恋する乙女の夢は広がった。

 

が、

数ヶ月後には

その夢は儚く消えてしまった、、、。

 

彼は外国人。

しかも大学在学中で、また国に帰り、

教職に就くための残りの課程を取る予定という。

軽率な行動は取ってはならない、

私は身持ちが固い人だった。

レッスンの後に会う約束した時も

彼のプライベートスペースには行かなかったし、その年齢なりの大人な対応を取れなかった。

後から思うと私はお子ちゃま過ぎたのでしょう。

その上、英語のレベルの低さによって

待ち合わせ時刻をミスってしまったことが

最後のきっかけとなり、

恋はあっけなく消滅した。

悲しかった、、、。

親の勧めたお見合いに吐き気

20歳の頃から両親にお見合いを勧められたっけ。

父は会社役員で、オールドミス(当時、適齢期を過ぎた未婚女性をそんな呼び方してたんだなぁ)が精神的におかしくなっていく例を数多見てきた、と、

当時付き合っている人がいなかった私に

娘にそうはなってほしくない、と考えたのです。

結婚して家庭を持ってこそ一人前、と。

 

知り合いの息子さん、、、その1、その2。

2人の方とお見合いデートすることになりました。

結婚なんて、

ましてやお見合いなんて、

全くその気はなかったけれど、

行かずに断るより会って断った方が納得するだろうという理由だけで行っただけ。

お相手には申し訳ないことです。

そのシチュエーションに身を置くだけで吐き気がする思いで

早く帰りたいとしか思わなかった。

帰ってきたら泣けて泣けて。

 

自分が思い描く結婚とのギャップが

悲しくて。

 

私はまだまだやりたいことがある。

恋愛もまだこれからなんです!

親とは理解し合えない、

悲しいけれど

実家にいながらも

心は距離を置くようになりました。

ワタシはフツウと思ったんだけど

ワタシ、とは?

私はワタシのことをフツウ、つまり平々凡々な人と思ってた。

華麗な人生に憧れながらも、、、

結局は普通に結婚して

普通に子どもを持って

普通にまあまあ幸せに暮らしていくのだろうと。

しかし!

振り返ると2回の結婚をして

2回の逃がれ婚(つまりは離婚なのですが、

自分から結婚生活を解消した方がよき、と

決断した)をしていた。

一緒にいることが互いの幸せの為に

ならなければ、その方がいいと思うのです。

パートナーに対する不信感を持ったまま

互いに表面だけ平穏を装う夫婦や

家庭内別居の仮面夫婦にはなれない。

 

そして私はバツ2の(この呼び方イヤですがw)

シングルマザーとなりました。

 

でも1回目も2回目も簡単なことではありませんでした…。